Gという名の侵略者

先日、Gに再会しました。
東京に来ることでもっとも恐れていたG。家では一度も会っていなかったのですが、ついに遭遇してしまいました。一匹見たら50匹いると思えとか100匹いると思えとか言われるやつです。


流し台にて茶碗を調子よく洗っていると、シンク内にウニウニと動くGを発見。その時地球がその回転を止めました。見間違いだと思いたかったけれども、やつは皿の間から出たり入ったりで小粋な散歩でもしているかのよう。


「Gがいる」という僕の声に、カノジョさんが素早く反応。
「洗剤をかけるのです」


そもそも皿を洗っていたシンク内で発見されたのがやつの運の尽き。動きがにぶいのです。しかもまだ成長途中のため小さい。すかさず洗剤散布開始。やつの体をジェル状の洗剤がつつんでいきます。やったぜジェル状。やつを逃さないぜ。間もなく断末魔の震えによって不快指数を極限まで高めたやつが死亡。しかしまぁ、人間は交通事故などの極限の状態になるとあまりの集中力に時がゆっくり流れて髪の毛一本の動きさえ見えると言いますが、まさにそのとおり。やつの一挙手一投足を全て逃さず見ました。すげー不快。でも目がはなせないのです。かつてない集中力が僕に宿るのです。いらんわそんなもん。


さらにやつが死んだからといって平穏は訪れません。やつを処理せねばならないのです。広告を重ねて広げ、なるべくつかまなくてもいいようにあらかじめ包む形に変形させ、ティッシュを数枚敷いて洗剤をしみこませます。あらゆる状況を考え、半径数十センチのものは軒並み待避。そして紙のこしの強い広告を、紙のヨーグルトスプーンのように折りまして、やつをすくい取ります。その際にやつが裏返って腹を見せまして、当然全神経が視神経に集中して見てしまうわけですが、吐き気をこらえつつなんとか移動させて広告で包み、こちらもあらかじめ最大限に口を広げておいたビニル袋に投入して口を縛ります。


「縛ったくらいじゃやつは出てくるよ。やつがでてこなくてもコドモがぐわっと」
……あぁ、カノジョさんは恐ろしいほどに現実主義。


縛った口をさらにセロハンテープで厳重に巻き、さらに周囲にこの危険性を十分にしらせるために袋に「G」と記入して完成。いや英語名なら「C」なのは分かっているけれど、やつをそんな聞き方によっては軽くプリティな名前で呼ぶ気はないのだよ。


あれから数日経ちますが、今朝やつを無事にゴミステーションに廃棄しました。あれから僕は常に生ゴミを出た瞬間に処理する男になりました。食器も食べたら速攻で洗います。清潔にすればやつが出る確率は減るのです。危機管理です。ええ。