Windows版Treoに思う

パーム、Windows Mobile搭載の携帯電話端末を発表

サンフランシスコ発--Palmは米国時間26日、人気の高い同社の携帯電話端末「Treo」でWindowsが動作するモデルを披露した。これはPalm OSの市場が勢いを失ったことを示すものといえる。


例えば僕は、Palmは使うしシグマリオン2も使うけどPocketPCは使えなかった。それはPalmは便利なPDAで後の二つは低機能なパソコンだと認識していた結果だと思っている。
低機能なパソコンであれば、打ちやすいフルキーボードを備えることで、軽くて便利なワープロ機という使い方もできる。テキストファイルを扱うだけなら記憶容量も少なくていいしマウスも必要ない。しかし旧型ではあるがPocketPCを手にした僕は、そこにマイナス面しか見ることができなかった。もっと記憶容量を、もっと操作性を。常にそう思っていたのだ。
問題はネットワークなのだ。僕はPDAがネットワークにつながることでスマートフォンになっていったという流れに違和感を覚えていて、PDAスマートフォンは似ている部分はかなり少ないのではないかと思っている。スマートフォンPDAや携帯電話の上位に位置しており、携帯電話で満足している人がスマートフォンに手を出さないのと同様に、PDAで満足している人はスマートフォンに手を出さなくても成り立ったのではないかと。
スマートフォンは低機能なパソコン、つまり本当はパソコンが欲しい場面で便宜上代用するだけのものという使われ方が多いのではないかと思う。僕は、PDAとはパソコンを補完するものだと考えているのでほぼ別物に見えるわけだ。補完するものは代用品にはなりえない。
一日のほとんどをパソコンの前、それもMacの前から動かない生活をしている僕をサポートするのにスマートフォンはあまり必要ない。それよりもパソコンを補完するものとしてのPDAのバージョンアップを必要としていた。ADSLにつながった400GB以上の記憶容量を持つデスクトップパソコンの前にいながら、僕はPDAを必要としていたのである。ネットワークに関する機能が不必要だと思ったことはないが、PDAらしさの観点から必要と覆われる機能のみを追加するだけで十分だと思っていた。しかし時代はPDAの上位としてスマートフォンを置いてしまい、それによってPDAはネットワークに関する既存の機能を小型化して追加されるだけで、それ自体の進化をほぼやめてしまった。もっとも、PDAの進化自体もどれだけパソコンに近づけるかという方向性が濃くなっていたのも確かだけれど。
Treoは今やスマートフォンである。であれば代用パソコンとしての機能を必要とされる存在であり、そのためにはPalmOSではなくWindows Mobileであるほうが望ましいと思う。現時点での性能の善し悪しではなく、資金を含む優位性を持ったパワーゲームに勝てる者についた方が、誰にでも予想しえる未来に辿り着くためには便利だからだ。
さて、ではPalmOSはどうなるのかというと、その歴史的使命を終え消えていくのだろう。PDAの存在価値を確定できぬままスマートフォンとなし崩し的に混同されたならば、当然の帰結だと思う。用途を限定しない多機能という無限に増えるかのような重しに対するには、単純なパワーが最も必要とされるからだ。今のところパワー比べでマイクロソフトに勝てる者は存在しない。そもそもPalmOSはそういうことから離れても成立するという概念からスタートしたものである。正に水と油、混ざり合うこともないだろう。
しかし「補完するもの」という概念はまたいつの日か生まれるのだと思う。例えば、スマートフォンがその進化の頭打ちを経験し、人々が多機能にうざったさを感じる頃、颯爽と登場するのではないかと思う。ちょうどPalmがそうだったように。