暇が必要なんじゃなかろうか

asahi.comより二つの事件。
⇒母親を殺害容疑、16歳の高校生を逮捕 盛岡⇒4歳女児死亡の団地火災、母を放火容疑で逮捕 江東区
前者は明確に殺人。後者は夫の気を引くために家に火をつけて子どもが死亡。いかんなぁ。簡単に追い込まれるし、発憤が制御されてない感じだ。それぞれにもっともな理由付けもできるんでしょうが、踏み込んだら戻ってこれないだろうし、あまり意味もない気がする。
ざっと考えるに、耐久性がない個人が悪いのか、回復する余裕を与えない社会が悪いのか。というテーマにもっともらしい専門知識で肉付けすればワイドショーコメントにはなりそうです。
最近ね、ちょっと思ったんですけども。暇が必要なんじゃなかろうか。暇ですよ、ヒマ。何もしない時間。趣味とかにも使わない、まっさらな時間。それがない。足りないというよりも全然ない。それは、いろんなものから逃げるためのスペースで、危ういところで思いとどまる時間でもあると思うわけです。自分以外のものに向き合う時間にもなるだろうし、いつもと違う視点で自分を見つめ直す時間にもなるでしょう。自然発生的に。
明確な目的を持って時間を作ろうというのじゃなくてね。時間があったから何かしちゃったという順序。
まぁ、贅沢だわな。