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今日は鍋の日

diary

ごぶさたですね。なんつーか、父親が亡くなりまして。葬儀やらなんやらで、実家方面でてんやわんやしておりまして、昨日の夜帰ってまいりました。で、今日はぐったりと9時過ぎまで寝てまして。保育園も休み、ヨメは休業中。昼くらいにゆっくりと出社しました。
やー、葬式というシステムはすばらしいですよ。身内を亡くす悲しみを、システムに乗ることで少し楽にしてくれる。第一、遺体をどうやって落ち着かせるかなんてことは、まったく思いつきませんからね。くだらない新興宗教がにっちもさっちもいかなくなって放置するのも分かります。長いものには巻かれた方がいいときもあるってことですよ。歴史があるというだけで十分に説得力があるということがあるということです。日本語が変です。僕なんかも盆にだけ仏教徒ですけどね。それでも死んだらお経あげてもらって火葬される以外の方法をとる気はまったく起きない。そしてそれでいいのだと思う。初七日とかさ、その後四十九日まで毎週坊さんが来るというのも、遺族の状況を確認するということにもなるでしょうしね。一つ一つが実感とともに、あぁ上手くできてるんだなぁと感心したりしてました。火葬までは正直僕もボロボロでしたけども、骨壺抱えて寺に行ってお経あげてもらって一息ついた頃から、だんだん落ち着いてきましてね。不思議なもんだなぁと思ったけどね。焼香の順番だのお土産の数だのを聞いてくる業者に殺意すら覚えたりしましたけどね。したほうがいいことを代行してくれてるんだなぁと感謝になったりしてますよ。でまぁ、今日は会社に行きましたけど。いきなり知らない人が3人いてね。びっくりしましたけどね。まぁ、なんとなく仕事して、帰ってきたらドメインとって運営しているサーバーのドメインが切れててね。びっくりしましたけども。あわてて再取得というか、そういう手続きして間に合ったみたいなので大丈夫だったみたいですけども。はてなダイアリーのデザインを自分で変えてて、背景画像とかをそこから引っ張ってるもんだから、とってもプレーンな見た目になってて。これはこれでありかなぁなんて思いますね。というようなことをつらつらと書いてて気づきましたが、この同じことを言っているようで言っていないようでという、微妙なニュアンスの言葉の積み重ねは、例えば人前で話に困ったときに無難に場をつなぐということに使えたりするわけです。後に残らなくてもいいからそういう話をできるのが大人な気がするのです。とりとめないなぁ。まぁ、一週間まるまるパソコンから離れてたのでこんなもんですよ。