今日は換気の日

だいぶ本調子が出てきました。保育園も行ったしね。久々なのでみなさん歓迎ムードで嬉しかった。玄関で「あらータロちゃん久しぶり」と誰かのお母さんに言われたのだけど、誰なのか分からず。お迎えにはほとんど行かないので、朝遅い組のお母さん一人しか知らないのですよ僕は。
久しぶりだからかホケーッとしているタロを置いていざ出社。会社は引っ越しを控えていたりするので、手の空いている人は荷造りしていたりして不思議な空気です。今日は結構仕事したなぁ。ちゃんとデザインの脳も動いてくれたし。逆に周囲が気を使ってくれているので申し訳ないような気もしますが。まぁ、全部ひっくるめて慣れというか風化というか、そういうもんでしょう。記憶は痛みのように、ときおり思い出すけれど、日常では影を潜めるようになっていくんでしょうね。でもまぁ、手続きだの喪中はがきだのをやってるうちは、その度に強烈に思い出すんですけど。まぁ、それはそういうもんだから。という「そういうもんだから」で収まる感じが今はとてもすばらしいもののように感じています。なんとなくとか、そういう曖昧なことを嫌うというのも一つの道でしょうけれど、それは迷うということを排除することで、それは人間性を排除するというくらいに行き詰まる思考なのだと思うのね。それは辛いじゃないかと。ぼんやりそんなことを考えながら、飯を食ったり本屋で物色したり。引っ越しもあるから、結構忙しい時期なんですよ。引っ越しだけじゃなくて、作業を部分的に大阪支社に割り振るなんてのもあったりして。大阪の方でも何人かデザイナ−を雇ってるみたいなんだけど、いかんせん知らない人と遠くでやりとりするという状況に慣れてないもんだから、まぁいろいろ問題も起こるでしょう。でもそのベクトルさえ変えなければ、たいていのことは慣れて上手く行くもんですから。慣れってのはすごいねぇ。まぁ、ミスのもとにもなったりしますけど。そういや今読んでいるいしいしんじのプラネタリウムのふたごですが、結構面白いです。何度か本屋でいしいしんじの名は見かけていて、好きそうな感じだなぁと思ってたんだけど手が出ず、今回一冊読んでみて面白かったので、今まで買わなかった文庫を買いそろえようと思ってます。ぶらんこ乗り、麦ふみクーツェ、トリツカレ男、プラネタリウムのふたご以外は新潮文庫なんだなぁ。新潮文庫は好きなのでちょっと嬉しいかも。いや、でも今月はマルドゥック月間なのだった。