Palm→紙→iPod Touch

僕がPalmで何をやっていたかというと、リマインダー付きテキストリーダーですね。まぁ、メモ帳と文庫本の代わりということで。パソコンでテキストが取り込める上、それを読みやすい縦書きで読むことができ、それを読むたびにリマインダーが起動して忘れ物を無くさせる。しかもバックライトで暗いところでも物が読める。これはまぁ、ライフスタイルが変わるほどの革命的な出来事でした。
つまるところ、これだけなんだな。あとは小型化薄型化してほしかった。できれば値段も下がって欲しかった。しかしまぁ小型化薄型化なんかする気配すらない。そこにきてT|Cの挙動がおかしくなってきたもので、今ではすっかりMOLESKINEと文庫本を持ち歩く日々です。これでまぁなんとかやれる目処がついてしまった。
まぁ、スケジュールなんかもGoogleカレンダーで管理したりはしてますが、結局確認するのは紙の手帳。
となっちまうわけです。
困ったもんだ。
まぁ、iPod Touchに期待しましょ。iCalってGoogleカレンダーの予定の説明欄も取り込めるみたいだし。
しかし悲しいのは、やっぱりPalm OSの完成度は群を抜いているということで。これが売れない国のデジタル業界にはろくな未来はないなぁと思っちゃってる事です。iPod Touchも、そろそろ新しいiPodが欲しい、写真や動画も見たいし、という理由がなきゃ買ってませんしね。あと、新しくて面白そうという理由か。それはそれで重要ですけどね。めちゃくちゃ重要ですけどね。でも形ある物は壊れるんですよね。無常なわけですよ。だからいつまでもPalmデバイスにこだわっているわけにもいかない。
結局iPod TouchにどうしてもPDAの影を追ってしまうのは、Palmのせいですよ。そのインターフェイスや概念には人生変えられましたからね。だから、まぁ、じいさんはテレビゲームを全てファミコンと言うように、僕はiPod TouchPalmだと思うくらいの勢いで使うでしょう。ある部分では満足し、別の部分では不満を持ちながらね。
僕は結局、せいぜいユーザーで語り部としてしかPalmに携われないのだから、生きた言葉でPalmを新しい人に語り続けなきゃいけないでしょう。それは新しい何かと比較するのが最も簡単で。まぁ、iPod TouchはやっとPalmと比較できるだけの何かを持っていると感じたんでしょう、僕は。Palm的な要素を広め、いずれまたPalmを復興させるだけの布石という部分もあるかな。ぶっちゃけた話をすれば、TreoよりPalmらしいものを持っているとすら想像していたりします。なんつーか、この、コアな部分。思想的な部分で。嫡男よりも門前の小僧の方が後継者にふさわしい要素を持つ事だってあるだろうと。ならば僕は門前の小僧の側につく。まぁ、iPod Touchがそれほどのものなのかはまだ分かりませんけども。
僕はいつだって殉教者ではなく宣教師でありたいなぁと思うわけです。なまくらですけどね。