具体から生まれたもの

編集ライター講座、初回の課題で提出した原稿。こーいうのも、どんどんさらしてく。ちょっと改訂するの前提でな。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)


【具体から生まれたもの】
具体で書くとは何か。事実のみで構成するということである。では、具体で書かれた文章は読者に何をもたらすのか。それを数ページ読んだだけで理解できるのがアゴタ・クリストフ著『悪童日記』である。
「双子の少年は、自分たちの行動を記録する」
行動があるが、そこに感情はない。殴られて動けなくなったとしても、過程のみが描写される。悔しいのか、つらいのか、文面からうかがうことはできない。彼らの周りでは、飢えや脅迫やアブノーマルな性が展開されるが、それに対する感想はない。感情がないという可能性も否定されてはいない。
「双子の少年は、奇妙な訓練をする」
理由や目的は書かれていない。互いを痛めつけ合うことで痛みへの耐性を強くする。それは何も感じなくなるほどの極みにまで達する。何時間も動かずにじっとしている。話しかけられたことは修行の後に実行するほど徹底する。しかし、なぜそれをするのか、それをしてどうなるのかは明らかにされない。
明らかにはされないが、読者は自分に置き換えて痛みを感じてしまう。具体で書くということは、伝わらないということではない。
「双子の少年は、戦時下にある」
舞台装置として戦争がある。理不尽な死や放置された暴力がある。常にうっすらと恐怖がある。感情や目的が明らかにされないままで、うっすらと恐怖だけはある。
「双子の少年は、区別されない」
常に「ぼくら」であり、個別の事態は起こらない。他の登場人物も二人をセットで扱っており、呼ばれる時もおまえらなどである。個のなさは焦点をぼやけさせる。
不安定な装置の上で、意味も目的も感情もない主人公の目を通して物語は進んでいく。
最後に、父親の死を文字どおり乗り越え、双子は別れる。一人は旅立ち、一人は残る。何を思い何をしようとしたのか。それはもちろん明らかにされない。
読後に残ったものは、具体からしか生まれない具体ではないものだった。