ファイルシステムという地獄

えと、前言撤回すること風のごとき僕ですが、PDA、特にPalmに関するあきらめの悪さは山のごとしです。正月はヨメの実家で寝正月で、気分的にはローマの貴族みたいだったので、いろいろ考えたりしました。
話はやはり根元的なところにいきます。やはり失敗のただ中にいるときは一度初心に返って問題点を追及すべきだろうと思うし、初心というのは意外に単純なものではないので、どこが初心なのかは認識の違いによって不明瞭になります。もう何度僕はPalmの初心を考えたか分かりませんが、まだしばらくは初心を連発するのかも知れません。とりあえず進めます。
まず考えたのは、SONYがPalmOSから撤退したら僕はどうするのかということでした。答えは『特にどうもしない』でした。今使ってるm130を普通に使い続けるだろうと思ったわけです。特に機能アップとかするわけでもなく淡々と。英語版を日本語化して使うというオプションをあまり考慮しない人なのでそうするしかないというのもありますが、かといって小型データビュワーはもう手放せないのでどうしようもありません。
Palmはよく携帯電話と比較されたりしますが、僕はiPodと比較したりします。モバイルというか、ちっさくて持ち運ぶデジタルということですかね。そこに、僕はなぜPalmに惹かれたのかを加味して突き詰めて考えると、今回はファイルシステムということにたどり着きました。いきなり省略して言うと「便利とは面倒ではないこと」となるのです。言うなれば多機能だろうと省機能だろうと、面倒くさいとか分からないとか思われた瞬間に不便なものだと思ってしまうわけです。その点、Palmも携帯電話もiPodファイルシステムは単純明快です(Palmは内蔵メモリのみでの話)。ファイルは半自動的に整理され、あるべきところにあり、必要なときにだけ見えます。小型化によって制限されるファイル整理のための操作を極力減らしているわけです。整理というのは大抵の場合目的ではないので、そうなるのはいたって当たり前のことです。実際パソコンの方も最新のOSではそういったユーザーの為に、音楽や写真のフォルダをあらかじめ用意して、なるべくそこに保存されるような構造になっています。そう考えるとPalmファイルシステムにおいて最先端にいたわけです。
Palmと他の二つの差を考えたとき、浮かぶのは新機能の導入の方法でしょう。携帯電話で言えばカメラ機能、iPodで言えば画像表示機能。携帯のカメラは専用ボタンが用意され、写真は日付の付いたフォルダに自動的に保存される。見るときはそのフォルダだけ探せばいいわけです。使ったことがないのでよく知らないのですが、iPodの画像表示はiTunesとの連携により、かなり直感的な単純作業で可能になるはずです。双方共に、ユーザーの自由を奪う代わりに、特に考えなくてもいい便利さを提供しているわけです。ひるがえってPalmはどうだったかというと、ポイントとなる仕様変更は外部メモリでした。スロットをつけ、メモリカードを認識できるようになり、シンクロ時に内蔵メモリにコピーするか外部メモリにコピーするかを選べるようになって、それらはあるべきところに自動的に納められる。そこまではよかったのですが、不幸なことにその外部メモリはパソコンでも自由に操作のできる種類のものだったために、サードパーティーによってあっという間に旧式のファイルシステム(ここではあえてそう呼びます)が外部メモリに導入されてしまいました。自由という名の下に半自動という理解しやすい楽なシステムが崩壊し始めたわけです。携帯電話は認識可能なファイルを制限し、認識した以上そのファイルをあるべき所に自動的に移動させるシステムを採用しているので混乱は最低限に押さえられますが、Palmは統制不可能な状態になってしまったのです。そしてそれは、マニアからライトユーザーへ広まる時に足かせとなったのです。
ですので、ファイルシステムを仕切り直すのが必要だと思います。オフィシャルがカバーするファイルの種類を明確にし、その範囲内であれば適当にPalmDesktopにつっこんでシンクロすれば、あまり考えなくても使える。特に画像と音楽とDOCとデータベースソフトは必須です。複合コンバータをつくってパソコン上で変換するのもアリでしょう。ネットや直接入力などは改良の余地がありすぎて今はまだ本格的に固めるのは無理でしょうから、今あるもので置いておいて、改良はサードパーティーに任せてしまってかまいませんし、画像や音楽でも置き換えという概念でサードパーティーに任せることは可能なのですから、オフィシャルは自信を持って最低限カバーすべきところをカバーしなくては底辺の拡大は無理なのだと思うのです。