蒐集キックオフ

蒐集癖というのは実に困ったもので。集めるということはそろえるという事なのである。例えば僕は新潮文庫赤毛のアンを集めているのだけれど、それは今売られているタイトルが楕円で囲まれているやつではなく、まったく同じイラストで空の部分にただ黒字でタイトルが書いてあるものなので、古本屋を巡って買うしかない。中身は同じなのだけど、いったん集めだした型を守らずにはいられないのでそういうことになる。初版でなくてはいけないとまではいかないけれど、自分で決めたので自分では破れない絶対のルールというものだ。そういうのは大抵の蒐集家が持っている、他人にとってはどうでもいいルールである。
これが電子書籍だとさらにややこしくなる。下手をすると、購入するサイト、購入するフォーマット、変換するマシン、変換するフォーマット、読むマシンなどを一定にしたくなってしまう。今のところは購入するフォーマットさえ合えばいいというルールで落ち着いているのだけれど、そのおかげでずいぶんと読みたいものを待たされてしまった。
茅田砂胡著『暁の天使たち』がついに発売開始である。『デルフィニア戦記』『スカーレット・ウィザード』を読んでいれば、時代や設定が違えどもクロスオーバーしまくりの、ファンはニヤリとせずにはいられない、編集部思う壺な作品だ。しかもクロスオーバーしているようで微妙に設定が違う別の物語。ある意味、自分の作ったキャラクターを使って同人誌を書いているような、かつての手塚治虫の世界のようなクロスオーバー感がこれまたたまらない。
スカーレット・ウィザード』で電子書籍を始めてしまった僕は、茅田砂胡作品を全てドットブックで購入している。それを変換してPooKで読んでいる。それはもう曲げられない絶対のルールなのである。それがなぜか今まで『暁の天使たち』はAdobeのeBOOKでしか売られていなかった。読みたい、しかしそれを購入するわけには行かないという他人にとってはどうでもいいルールに悩む自分。またおかしなことに、ルールを破ってしまおうなどとは一切考えもせずに、ただフォーマットの違いに悩む自分。それがちょっと好きだったりする。それは例えばサッカー。負けられない試合でスコアレスのまま90分をまわったという感じのドキドキハラハラを体験しているのに似ている。負ける気はない、でも点が入らない。そんな状態で点を入れたときの、溢れんばかりのカタルシス。この苦悩の先にそれがあると信じているから頑張れるのである。
そして時は来たれり。『暁の天使たちドットブックで発売である。震える手でパソコンを操作し、サイトにドットブック版『暁の天使たち』の存在を確認した時の気持ちは、いうなればスコアレスで後半のロスタイムに絶好のセンタリングを上げてもらったストライカーのような感じである。気持ちはカタルシスに片足つっこんでいるのだが、ここであせってはいけないという戒めの気持ちもあり、おちつけおちつけと自分に言い聞かせる。そして購入手続き、ダウンロード、変換、m130にインストール、PooKを起動、『暁の天使たち』発見、そして表示。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオルゥゥゥゥゥゥゥ!
僕は一人心の中で起き上がり、人差し指を天高く突き上げ、ペナルティエリアを全速力で駆け抜けて、こころのサポーター席に向かって、あらん限りの力で雄叫びをあげた。