戦争とか

先日、長崎に行ってきた。原爆についての施設を少し回った。原爆はやっぱ酷かったよ。もしも地獄があるのなら、あれを落とす要因を作った人間は全員地獄に行くのだと思う。あれを償うのは不可能だもの。
戦争という単語はぬるいよな。要は殺し合いなのだから、殺し合いだと言えばいいのだ。戦争が必要かどうかというのは、殺し合いが必要かどうかということだ。
弱虫でも何でもいいや。
基本的に先進国と呼ばれてる国の法律では、人を殺しても罪にならないのは正当防衛だけだ。日本には昔、敵討ちを認める法律があったはずなんだけど今はない。そーいうことなんだと思う。いろいろ考えた結果、正当防衛しか認められないことになったんだということで。法律ではそうなってるけども、憲法じゃちがうんだろうか。
長崎の原爆落下地点をアメリカの飛行機から撮影した写真に、GROUND ZEROって書いてあった。そうか、ここもGROUND ZEROなのかって思った。戦争を終わらせたゼロと、戦争を始めたゼロ。
戦争は儲かる。一部の人だけがとてつもなく儲かる。部品だけつくっているところも儲かる。戦争が激しくなるほどいくら作っても間に合わないほど売れる。人殺しの道具を作っているところの株を買え。
今まで戦闘に参加せずにいたから、自衛隊は維持できたような気がする。
基本的には無視しようと思う。戦争は必要ないといえば、必要だというヤツが顔を出す。どっちの意見も正しいと思う。だから無視だ。戦争をしてしまう仕組みを知ろうというのもまずいと思う。それは人を殺してみたいか、という問いに似ている。なぜか否定もできず、肯定するわけにもいかない。頭がおかしくなってしまうよ。近よらないのが君子。
会社の近くに靖国神社があるので、必然的に靖国のことを考えることが多い。ただ、個人的な結論は「どーでもいい」である。みんながごちゃごちゃ言うのでいろいろ考えてみたんだけど、そもそも「靖国神社に興味があったのか」と改めて考えてみたら、答えは「まったくない」だった。そして、いろんな文章を読んで出た結論も「俺は靖国はスルーね」ということだった。日本人が知らなきゃいけないこととか、やらなきゃいけないこととかは他にもたくさんある。靖国は他の人が考えておいて。まぁ、参拝しようとしまいとどーでもいいのだけど、そのことで生じるごだごだをロクに解決できない政治家は無能だと思うけども。
僕は戦争を放棄した後の日本に生まれた。戦争を体験せずに育った。神を信じていないけれど、クリスマスにプレゼントをもらい、受験の時は神社に行った。それが僕だ。自衛隊に入る気も無いし、街角の募金箱には100回に1回くらいしか小銭を入れないし、難民を助けに外国に行く気も無いし、メッカに祈る気も無いしキリストをありがたがる気も無い。それは何一つ悪くない。いいことをしていないだけで悪いことをしているわけではない。そこに後ろめたさを感じたら、悪魔につけこまれるということはなんとなく分かってる。
でかい話をするときは、身近さのレベルを考える。身近じゃないのなら、この駄文を書くための神聖なスペースに、政治や宗教や戦争の話を書くべきではないと思う。ただねぇ、体調が悪かったりイライラしてたりすると、政治とかの話を書きたくなるんだよなぁ。つまり、憂さ晴らし。
んー、今日もメディアには憂さ晴らしがいっぱいだ。