とっちめる

なんか最近気持ち悪くないですか。なんつーか、狂気の正義が。
物事が全て無罪か死刑で決着をつけられるような雰囲気。平たく言えば単細胞。
ありえないほど残虐なお仕置きで子どもを死なせる親っているでしょ。あと肩がぶつかっただけでオヤジを殴り殺す若者とかもいるでしょ。馬鹿じゃないかと思うでしょ。でも結構社会全体が似たようなもんになりつつあるような気がする。
ナショナリズムが煽られるとそういう感じにはなるんです。戦時中とか。効率化を必要以上に欲すると、面倒だから罪は全部重罪にしてしまえということになる。悪は悪なんだからいいじゃないかという乱暴な論理がまかり通る。効率化を必要以上に欲するということは、何だかわからないものがありすぎて、とにかくスッキリしたいというような気分のことです。要するに楽になりたいということです。
被害妄想、というのだと思います。刺殺の時にめった刺すのは、怖いからです。反撃されることを異様なまでに怖がるからです。理由とかはない、ただ漠然とした恐怖が必要以上の攻撃を生むのです。連続して浮かぶ不安や恐怖だらけの未来が狂気を呼ぶのです。
もう懲りたろうから勘弁してやろうという寛容さが足りない。懲りてなかったらどうするのだ、いや懲りていないはずだ、懲りているわけがない。だからもっと刺さなければ。
魔女狩りのような、キリシタン狩りのような、今日から見れば勝手なロジックで人を殺した歴史を思い出す。だけど当時の人間は、社会を守るために正しい行ないをしていると信じていたのだ。
気の利いた罰を与える、という能力が足りない。場を収める、という能力が足りない。この閉塞感をどうすればいいのか。
とっちめてやればいいんじゃないですかね。とっちめるって、あんまり暗鬱とできない響きがあるんで。こらー、とっちめちゃうぞー、みたいな。
(「とっちめる」にたどり着く前に、なんか関係あるようなないようなこといっぱい書いたなぁ。難しい漢字が簡単に書けるのでね、うろ覚えの知識もすぐにネットで調べられるのでね、いらんこといっぱい書いちゃうんですよ。そのへんも問題なんだろうね。変なツッコミされるのが怖くて必要以上に防衛線をはるということもしちゃいますね。)