文字入力と面倒くささの微妙な関係

●割り切った2つのスペース
PalmにはGraffiti(グラフィティ)と呼ばれる文字入力方法が使われている。 アルファベットの一筆書きみたいな形を専用スペース上でなぞると、それが文字として認識されるものだ。これがほとんどアルファベットのままなので、多少の書き順を覚えるだけでいい。わからなければ、液晶画面に下から上へ1本線を引けば、書き方の一覧画面が出てくるので便利だ。入力する場所は2つに別れていて、左がアルファベット、右が数字を書くスペースになっている。O(オー)と0(ゼロ)が混ざらない。このシンプルにするための思いきりの良さがたまらない。ユーザーは丸いから○を書けばいいのだ。左で書けばオーだし、右で書いたのだから絶対にゼロであるという安心感は、メモをスムーズに書くうえでとても嬉しい。


●割り切ったローマ字入力
アルファベットと数字しか書けないわけだから、日本語を書きたい時はローマ字入力をするわけである。日本語の直接入力はできないが、僕はもともとパソコンではローマ字入力をしていたし、手書きで素早く認識させられるのはせいぜいアルファベットのように単純な記号だけだと思っていたので、なんの不満もない。5分くらい使って慣れれば九割五分くらいの確率でまちがいなく入力できる。がんばれば指でも書けるし、電車にゆられていてもかなりの確率で認識してくれる。どれだけ多くの文字を認識できるかではなく、どれだけ誤認しないものを作れるかのほうを重要視した結果だと思う。電車にゆられていてもまっすぐにキレイな文字が書ける部分だけは、紙の手帳を超えているだろう。
たとえ日本語を直接入力することができたとしても、間違いなくここまでの認識率は出ないだろう。すごいと言ってもしょせんはコンピューターだ。複雑な文字であればあるほど誤認するだろう。九割五分認識しないなら使えない。コンピューターのつごうで人間の作業を止められてはたまったものではない。第一、インクがかすれる確率の高いペンなど不良品である。ペンとは、使えば文字が書けるもののことである。そんな例えができるほど、問題なく文字が入力できる。
ちなみに、ひらかなや漢字のペン入力を研究している人はすばらしいと思う。すばらしいとは思うが、現時点で使えないものはやはり使えないのだ。しかも、アルファベットですら、認識のために簡単ではあるが特殊な書き方がいくつかある。これ以上覚えるのは面倒くさい。さらに、複雑な漢字混じりの文章を書くよりもローマ字入力のGraffitiの方が画数が圧倒的に少なく、素早く入力できる場合も多々ある。だから、たとえ将来日本語入力ができたとしても、僕はアルファベットでローマ字入力をするだろう。僕がパソコンでローマ字入力している決定的な理由は、26個のキー配列を覚えるだけで英語も日本語も書けるからである。


●慣れるまでの苦労はいらない
また、特殊な入力方法を勝手に作れば、Graffitiより速い入力は可能だと思う。しかし問題はそれを人間が覚えるのにどれだけかかるのかということである。道具は人間に使われるためにあるものだ。道具のために人間が必要以上に苦労するなら、その道具はマニアか必要に迫られて使う人のための特殊なものになってしまう。そんな面倒くさいものはいらない。ビデオのタイマー録画ができない人でも使えるPDAがほしい。
僕らが必要に迫られてキーボードに慣れてしまったように、そういった特殊入力が多大なシェアを占めるならそっちに流れるのかも知れない。PDA用の特殊入力式小型キーボードもいくつか出ているが、どうせキーボードを使うなら、普通のキーボードと同じキー数のものを使いたい。なぜなら、どう考えても苦労して覚えただけの見返りがなさそうだからである。キーボードとは文字を入力するためのもので、配列当てクイズを楽しむものではない。別に、キーボード業界の発展を嫌がる気はないが、PDAというもののスペースの都合と人間の労力の都合を考えると、Graffitiを超えるものは今のところないと思う。新しいことを覚えるのが嫌で、場所とるのも嫌で、お金かかるのも嫌なので、Graffitiは非常にありがたい。
ちなみに、あまりGraffitiばかり書いていると、本物の紙の上にペンでGraffitiを書いてしまうことがある。仕事先で普通にひらかなを書こうと思って、紙にGraffitiを書いてしまったときは背筋に寒けが走った。逆に言えば、それくらい自然に体になじむ入力方法。それがGraffitiなのである。