PDAを考える

PDA 対 秘書
PDAとはPersonal Digital Assistantsの略である。PDAとはつまるところ人間を補助する物なのだ。PDAの本質を考えるために、温故知新の心から、人間で言うところのアシスタントということで秘書について調べ、そこから比較検証してみようと考えた。
秘書検定のサイトでおおまかな秘書の役割について記してあったので、まずは簡単にまとめてみる。秘書とは上司が本来の仕事に専念できるように補佐するもので、その仕事を大別すると「業務処理」「情報処理」「人間関係処理」の3つにわけられる。業務処理とはスケジュール管理や経理など業務に直接かかわる仕事である。情報処理とは書類の作成や保管・管理などの事で、人間関係処理とは来客や電話の応対、交際の業務などのことである。
今現在のPDAが実際に行えるのは、結局のところすべての一部分でしかない。主な原因としては、データ自体の発案や入力は人間まかせという点があげられるだろう。しかし、デジタルの特性としてコピーや通信が簡単なので、グループウエアとして扱えばかなり人間をサポートすることが可能だろう。


●先読みで発見
しかし、アシスタントとしてよりレベルをあげるのであれば、あらゆるデータにおいてPOBoxのように、曖昧かも知れないが先読みで行動できるのが望ましい。たとえば、持ち主がよく入力する文字などを記憶しておき、そこからネットで関連のありそうな記事を取得してまとめておくとか、画数から難しそうな漢字を察知してルビをふっておくなどが考えられる。それらは収集・変換したデータの九割が使われなかったとしても、ただひたすらに飽きることなく忠実に作業を続けるのが必要なので、機械には最適な作業なのかも知れない。
またセレンディピティという言葉がある。これは、言うなれば思わぬ発見という意味で、混ぜる予定のない薬品が混ざってしまったときに思いも寄らなかった新薬ができたときなどに使われる。身近なところで言えば、大掃除でタンスの裏からお金が出てくるようなものだ。意識を越えたレベルでの発見である。もちろんそれらはただの偶然ではなく、そこには新薬を研究するという意志や、お金が必要な物だという知識が必要である。何もしなければ何も生まれないし、何かが生まれてもそれに気づかなければ意味はない。
情報過多の現代、あるキーワードから導かれる世界中の情報の全てを一人の人間が処理するのは、もはや不可能といっても過言ではない。あらかじめ持ち主の個人情報や趣味嗜好を考慮したフィルターで絞り込みを行い、セレンディピティの起こる可能性をアップするという、まさに気の利いた秘書でなくてはできない芸当。ここまでして初めて、PDAPDAになれるのではないだろうか。


PDAと使う人
ただし、情報を自動的に取得したり選別することまでは機械にもできるのだが、そこからひらめくことができるのは人間だ。ゆえにPDAはアシスタントなのである。機械は秘書にはなれるが社長にはなれないのだ。
昔から、日本人は秘書を使うのが下手だと言われている。秘書の能力を信用することができずに自分で全部やってしまったり、本来ならば自分でやるべき仕事まで秘書に任せてしまったりと、バランスを考えて使うのが下手なのだそうだ。PDAがアシスタントであり、あくまでも自分がメインでありたいのならば、任せきりでもなく自分で全部やってしまうのでもない、ちょうどいい使い方のできる文化が、PDAを使う日本人にはまず必要なのかも知れない。