流れゆく時代の中で思うこと

●複合化のゆくえ〜可能性の話
先日、手描きペイント機能を搭載したデジカメが登場しました。思い起こせばネットでムービーを送信できるデジタルビデオカメラというものもありました。これで手書き機能が加わって、もし撮影時間とかをスケジュールとして管理するようになれば、機能追加が必然のデジタル世界のことですから、スケジューラーを装備する可能性が考えられます。そうなれば充分にPDAと機能がかぶることになります。カード並に薄いデジカメもあるくらいですから、サイズ的にも申し分なくなる可能性も高いでしょう。さらにiPodという、本来なら音楽プレイヤーであったマシンも多機能化してくる様相を呈してます。つまり、PDAのライバルが、小型化したパソコン、多機能化した携帯電話、多機能化した音楽プレーヤー、そして多機能化したカメラということになるわけです。
思わず「どこから来ても向かう先は一緒なのか!?」と言いたくもなりますね。同じ点から始まって結果が違うというのが進化だと思いますし、そういった発展性が面白いと思うのですが、このままでは全機能を備えた単一のマシンを持つことにになってしまいそうです。
一見、一台で全てをこなせるのだから便利だと思えるでしょう。しかし、メーカーは小型化や省電力化を図るために、最低限の機能を残して余分だと思えるところを省略するという事をします。時には音域であったり、また時には画質であったり。そこで正直に、小型化のために画質を落としたという情報がユーザーに正しく伝われば良いのですが、商売上不利な情報をメーカーが報告するとは思えません。かくして、人間的、文化的なものは減少衰退するわけです。それは時間をかけてゆっくりと減ってゆき、気がつくと取り返しのつかないことになるでしょう。インスタントは悪いことではありませんが、インスタントしか知らないのはとても不幸なことだと思います。


PDAのゆくえ〜危険性の話
複合化の流れの中でPDAにとって不利だと思うのは、PDA以外のものはそれぞれ固有のわかりやすい機能を持っているということです。つまり、便利な携帯電話だったり便利なデジカメだったりという説明しやすい骨格があるのです。いったん市民権を得ているわけです。ベースキャンプを作ってからアタックしているわけですね。それは強い。特に携帯電話は、通信費がかかるのをいやがる人でも、それは電話代だと思えばわりとすんなり飲み込めるし、実際もうお金払って使ってるという部分もあります。今後通信が重要な鍵を握る小型機の世界で携帯電話が強そうなのもうなづけます。
さらに、音楽プレーヤーやデジカメなどは、エントリーモデルとして正常価格が一万円を切るものが登場しています。携帯電話も機種交換の場合は最新機種が同様の価格で手に入りますし、少し古いものになると無料で交換できたりします。やはり値段というのは消費者にとって大きなものです。携帯電話の場合は通信費で稼ぐことができるという強みがあるからだとは思いますが。
Palmも一万円を切るものがありましたが、これは売りきり処分価格であって、そのマシンが売りきれた時点でおしまいです。実際、もうほとんど市場に残っていないでしょう。ただ、これはモノクロマシンの終焉という要素があるので、カラーマシンが主流になってさらにエントリー価格化したころにPDAの爆発点があるのかとも思います。HandspringやPalmがいくらモノクロマシンを安くしたところで、新規ユーザー開拓としてはあまり有効ではないような気がするのは、やはり日本人はカラーマシンが好きという部分が大きいと思いますから。モノクロマシンでも無理なく使えるのですが、イメージの問題ですね。
ただし、今のカラーマシンと、今後エントリー化されるであろう頃のカラーマシンとには、OS4と5の差というものが横たわります。つまり、OS4のカラーマシンがいくら安くなっても、最新機種との互換性が少なければ爆発点は来ないだろうということです。それは、プログラム的な互換性という部分と、心理的な互換性です。OS4のマシンが安いから買ってみようと思っている人の目の前に、OS5専用ソフトが並んでいたり、OS5購入者がOS5を褒めちぎるあまりにOS4をさげすむような発言をしてしまえば、当然OS4のマシンの魅力は減ります。そうなればエントリー価格であることは安っぽさというイメージに置き変わり、OS5マシンの価格を見たユーザー予備軍はエントリーマシンの価格から比べてしまうので「高い」となってしまうでしょう。
Palmの発表をみた限りでは、プログラム的な互換性はかなりの部分で大丈夫だと思いますが、心理的な互換性の場合はユーザーに負うところが大きいので、今から心しておこうと思っています。


●かけがえのない副次的地位とPIMという概念
やはり特化された機能をあまり持たず、それでいてあらゆる機能を追加可能なPalmマシンはあくまでもサブという位置で発展するのがいいと思います。船頭多くして船山に上ると言うように、多くの機能を持ったマシンが複数あってもあまり意味はありません。全てをこなせるメインマシンとして動けないとしても、誰とでも仲が良く、情報を中継する機動力のある存在というのは欠かせない存在になりえると思います。
Palmだけで何ができるのかを追及するよりも、どれだけの種類の機器と親和性をもっているのかが重要なのだと思うのです。砂漠の真ん中にでも行かないかぎり、多様な機能はそこらじゅうに転がっています。撮影したければカメラを借りればいい、テキストの複雑な処理をしたければパソコンを借りればいい。しかし実は中心にいるのはPalmであるという状態。パソコンを買ってもデジカメを買っても、いつも店員に「ご一緒にPalmを買われると便利ですよ」と言われるような存在になれれば、複合化の波に流されない足場を手に入れられるのではないでしょうか。
また、そうやって貸し借りをすることによって、人と人とのつながりが生まれます。仕事でもプライベートでも、人間は完全に一人で何かをすることは不可能です。マルチメディアの名の元に、数多くのソフトを搭載したパソコンを持っていても、一人の人間にできることはたかが知れています。それとは別の流れとして、全ての機器と情報を交換し、重要な情報を把握して管理するマシンが必要なのだと思います。ですので、PalmPDA(Personal Digital Assistance)ではなく、PIM(Personal Information Manager)として発展すべきなのだと思うのです。PIMとは個人のスケジュールを管理するだけのものではありません。自分が必要とする情報全てを管理するもののことです。写真を撮ったデジカメからサムネイルと撮影時間と撮影状況だけを抜き出して管理することや、仕事上で必要な資料がどこにあるのかを管理することも全てPIMです。家庭の場合は、オーブンレンジの中の七面鳥の焼き上がりのタイミングや、ビデオの予約録画状況などを管理することだって、もしあなたに重要な情報ならばPIMでしょう。情報を入手したり整理したりすることは新入社員でもアルバイトでもできますが、その全体像をつかまえて管理する人が重要なのです。あなたの人生を一冊の雑誌に例えるならば、自分で全部やってしまうのも楽しいでしょうが、写真はカメラマンに撮らせるのもいいでしょうし、文章はライターに書かせるのもいいでしょう。しかし、その全てに目を通し、最終判断をするのはあなたなのです。そして、それを強力にサポートしてくれるのがPIMという概念です。


●弱いということと強ということ
例えは悪いですが、見た目が華やかなだけでさしたる変化もなく、時代の流れの中で弱体化しては合併し、それでも次々と首がすげ変わる内閣のようなものをデジカメや音楽プレイヤーに例えるならば、目立ちはしないけれども裏で全てを牛耳る官僚のような存在がPIMと言えるでしょう。他者の力を借りるという前提で作られたマシンというのは、一見それだけでは何もできないように思えるけれども、実はその他者すべてを統括すると考えれば、けして弱いものではありません。
どんなに多機能な機器が開発されても、それを使う人間によっては便利にも不便にもなります。全ての機械は人間のコントロール下に置かれているからです。その絶対的な主である人間の半径5メートル内の情報を全てコントロールすることができれば、どんな多機能な機器よりも上に立てると思います。そして、その位置に最も近いのが、実はPalmなのではないでしょうか。最新技術をべたべたとくっつけるよりも、多種のOSに対応すること、多様な接続形式に対応すること、そして最新技術を持った機器を使う人間にいちばん近い存在であること。その方が重要だと思うのです。